えいがのこと

映画の事。いろいろ。

報われる

ブログはじめてから2年経ちましたが、まだ2本しか書いてないという…。

いやー、自分でもびっくりした(笑)

あれからどうしていたかというと、引き続き脚本の勉強をしてました。

同じ学校で別の講師に1年学び、構成はある程度上手く組み立てられるようになったけど、兎に角キャラクターが苦手だったので、さらに別の講師で1年半学ぶことにした。

(来年の4月まで学ぶつもりです)

 

歩みは遅いけど、少しずついろんな事が掴めてきている気がします。

ブログの最初に書いた当時の講師の「目が滑らないで読める」

この言葉にとても悔しい思いをした。今でもこの事を思い出すと、キュッとなる。

でも、さらに2年学んで、やっとこの目が滑らないで読めるという言葉を私自身の中で理解する事ができた。

(誉め言葉をちゃんと素直に受け取れないのよね、自信がないと)

 

去年の11月から学んだ前期は、兎に角キャラクターの反応。

こう言われてどんな感情をもって次の台詞に行くのか。何度も言われた。言われて頭ではわかってるけど、なかなかそれを表現できない。本当に難しい。

でも、根気よくアドバイス頂いたお陰で、その期の優秀賞の次点に選ばれた。

この時にも、他の講師には読みやすい。さらっと読めた。実際の俳優に充てて読んだ。

なんてお褒めの言葉をいただきました。

 

そして、今期。課題を仕上げていく過程で、講師からはこのシーン終わり、バシッと切っちゃおう。次のシーンに入りやすくなるよ。

ここのシーンとシーンの流れが悪いから、もう少し溜めてみて。等々のアドバイス

もちろんキャラクターの指摘もあったけど。

前回は6稿となかなか重ねましたが、今回も5稿だったw

でも私は稿を重ねることは悪い事だと思わない。今は学校で学んでるんだし。もちろん少ない稿でより良いものを作りたいけども、今はまだ無理なのです(笑)

 

締め切りが来て、提出した後、他の生徒(既に書き物を生業にされてる方)の脚本を読んで、講師のアドバイスの意味が分かった。

 

脚本は人に読んでもらうもの。そう思って書いてきたつもりだったけど、もっと読者を意識しなければならない。それは小説や、コラム、文章全てにおける事なんだろうけど、脚本も同じで、脚本=映像の設計図なんだから、誰もが読んで理解できるものを書かなくてはならない。

実は生徒の脚本を読むのが苦手なんだけど、それは読みづらいから。そういう事。

例えば何かの賞に出すことがあったとして、読みづらかったらそこで読んでもらえなくなる。

私は、脚本を書くなら、面白い作品を書きたいと思っていて、それは今でもとても大事だと思っている。多分みんながそう思っているはず。

でも、テンポや読みやすさというのもとても大事なものだという事を実感した。

それは、いつか必ず身につけなければいけないもので、皆が最初に持っていたものは個性だったのが、私は先に読みやすさという技術を持っていただけだった。

 

こんな大事な事に2年もかけて気付くの遅すぎだろ!って思ったけど、あの時辞めないでいて良かった。悔しさのまま、自分の技量がないと思ったまま辞めなくて良かった。

自分にだって人より良いと思う部分がちゃんとあった。当時の講師の誉め言葉をもっと素直に受け止められなかった自分に後悔しつつも、ちゃんと気づけて良かった。

 

まだまだ勉強することはいっぱいあるし、身に着けるまでにとにかく時間がかかる。

でも、地道にきちんとやって行けば、去年の私とは、また違う私になれるってわかれば頑張れる。まだまだ頑張れる。